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2010年8月12日 (木)

物をあげるとまた戻って来る

それを信じている。

それがあるからお金よりも
違った形で帰って来る

お金のような憎しみや怒りとは違った
人との愛情の証みたいな
そんな気持ちが伝わって来る。

本当は人は物の交換から
始まったその後から貨幣を作り出した
ここから人は変わったのだろう。

戦争や人殺し憎しみや悲しさ
金にまつわる話は後を絶たない。

大分前に高頭祥八さんが
僕はお金がなくても生きて行ける
絵をあげればまた戻って来るから
だから食べて行ける。

絵にはそんな力がある、

でもこれは絵ではなく
すべての物にそそがれている気がする。

僕は絵を描きながら赤帽をしているが

あるお客さんが人に怒鳴りながら
物を運ばせて殴られたりおどかされて
運ばしているが(殴っているかは事実かは解らない)
物に対する強い思いそれが自分の金に換わる
ことその強さが
人の気持ちや愛情までを無視してしまう

そのお客さんは人に憎まれても大事な物を大切にする
その思いの強さは異常とも思える。

だから法の範囲内では間違いではないと理解するしかない
しかし法が無ければこのお客さんが正しいと思えてくる。
それだけ愛情をそそいでもらった物たちは間違いなく
使った人はどれだけ苦しさや悲しさを和らげてくれているのだろうか
と考えてしまう。

これはのがれられない行為なのではないか
そして誰かがしてあげなければならない行為であり
仕事となれば普通よりも高い代償が必要になってくるのだろう。

難しいことだが
怒りの連鎖とはこうして生まれるのか
と思い始めている。

生きて行く為には物を食べ物を使うそれが
複雑になると解らなくなり憎しみや恨みだけが残ってしまう。
過ぎたるはおよばざるがごとし

その過ぎたことをしないとならないことをだれかが
して行かなければならないと思う。

だからみんなで考えどうしてあげたら良いのかを
助けてあげなければならないのではないかと思うと
涙が止まらない。

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