« 絵を売り思うこと。 | トップページ | ビートルズは何故駄目なのか? »

2012年11月 8日 (木)

僕にとってのキリスト教

新白岡に福音キリスト教会がある。
水曜日は第二の安息日でココには喫茶店があり水曜日は開いていてコーヒーを今日は飲んで来た。
僕は教会とは縁がある母はクリスチャンで僕は思う所クリスチャンではない
しかし牧師さんの娘さんと結婚することになったかもしれないしまた牧師さんが僕の保証人になってもらったりでいろいろと僕はキリスト教にはお世話になった。
今日もあることでお話しを教会にいた女性と話した。
それは日本人が何故個人の尊厳や個人の幸せ人と人との平等に考えが至らないのか?と言うことである。
今回のシャープの6000億もの赤字についても
会社第一主義で個人主義ではないからこれから一人一人が会社の為に生活を奪われ犠牲が沢山出来て行くのは明らかなのに人々はそうなった時に気がつきどうしようもならなくなり路頭に迷い自殺して行く。
自業自得と株好きは言うが。
一人の命の尊厳や基本的人権そして人々の幸せや平和それがここに至ってあるのだろうか?と思う。
かつて日本は天皇と言う現人神を信じ何万もの人が死んで行ったのも知ったことか反省しない。
では何故日本人はこうなってしまうのか?
仏教は神と仏が存在する。しかしキリスト教には神しかいない。
坊さんが人が死んだ時に仏陀の教えをキリスト教の牧師は人が死んだ時神の話はしない。仏が存在しないからである。
神は神しかない聖書では神のことしか語らない。
死んだ人のことは語らない。
神のことだけ考えるキリスト教と神も仏も考える仏教はココが違う。仏に対して敬うことは祖先と言う集団に対して敬うことであり拝むことでもある。だから集団が唯一正しいことであり。一人の人がしていることは正しくなる。
だから個人を敬うことではない。
キリスト教は唯一イエスが人でありそして磔の刑になり神となる。そしてそれが神として信仰を司る。
ここに大きな個人主義と集団主義の違いが出てくる。
今また会社と言う現人神に向かってまた邁進する日本人
福音教会の彼女が言った、
個人を尊重していくことが日本人には出来ないのではないか?
と言う。
それは仏と神が共存し祖先が死ぬと法事や葬式に行かなければならない日本人の集団でやっていればなんとかなる。集団に入らない物は追っ払う。
内の会社はこうで他人の会社は関係ないそんな社会を作ってしまったに違いない。
シャープが利益を上げられないのは他人には善行をと集団で教えておきながらみんなそうしているのは守りなさいだから進歩が全くなく、いいように利用されて中国に技術をみんな盗られてしまったのだろう。
キリスト教はヨーロッパの文明が作り出した物で日本人が作り出した物ではないが。世間を見渡すとあらゆるヨーロッパやアメリカの物で満ち満ちている現実は隠しきれない。
これからキリスト教文化ヨーロッパ文化は世界をリードして行くだろう。それは個人主義が良い意味での幸福を生むからでまたそれが人々の愛へと繋がって行く。
だからこそ集団主義から個人主義へそして会社からファミリーへと底上げの原理を使わなければまた日本は泥沼化して行くだろう。

|

« 絵を売り思うこと。 | トップページ | ビートルズは何故駄目なのか? »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 僕にとってのキリスト教:

« 絵を売り思うこと。 | トップページ | ビートルズは何故駄目なのか? »