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2012年12月

2012年12月29日 (土)

2012年

もう赤帽辞めたいと何度も思うが絵では食べて行けないそんな思いを持ちながらとうとう50になってしまっただが今赤帽の回りはほぼ同じ年齢の人たちと仕事をしていることに長く赤帽をして来た事を思う。
そしてこつこつ一人で絵を描いてきた成果が少しずつ見えて来た感じのする一年だった。
今年はかなり自分に変化があった年のように思う。
だが日本の経済がかんばしくないことが自分にも気になるのは年をとったのかなとふと思う。

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2012年12月23日 (日)

今月は仕事が忙しい

やっと今日休んだ昨日の夜寝て夕方の6時頃近所の人のチャイムで起きた。
これだけ仕事をしてもどうにか黒字だ。
でも1年に一回しかないから生活が大変だ。
今度テレビ東京の貧乏の番組に出る事になりそうで
電話でいろいろ聞かれた。
最近絵も描けないので辛い。
スタバのケーキを描いては楽しんでいる。

少し絵の製作えおしてまた休もう。

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2012年12月 7日 (金)

陸前高田にF1サーキット場を作る会を発足。

今日。陸前高田のジョニー由起子さんと電話で話をした。
有名になる事が己の傲慢さや人に迷惑や家族まで犠牲にしたりするまではしない方が良いと言う事を電話で話会った。

有名だから威張ってみたり偉くなったと勘違いしたり
有名だから何だって手に入るような人格だけにはなりたくないと
着くずく思う。
芸大だから東大だから学歴だからとかと、同じであって
することをしたからと言うが?
有名になっても謙虚な、有名人はいる。
何が違うのか?
それは自分が好きな事を地道に静かにやり続けている方が先で有名になることが第一ではないような気がする。

津波で何もない陸前高田の地を生かすも殺すもこれからかもしれない。でも今マスコミが騒ぎ立てていかにも脚光を浴びても有名でなければもう何も関係ないではでなく。

本当に大事な事は人と人が助け合う美しさをこの自然の与えた機会を大事に思い更なる人間性の回復へと導く事だと思う。

現代人がとらわれそうな隣の人は他人です、ではなく
気のあった物同士が幸せに暮らせたらと言う事を改めて自然が教えてくれたと思う。

キリスト教では神がお与えになった試練と言うのかもしれない。

由起子さんはこんな事を言っていた。
陸前高田の地に世界一の広さのサーキット場を作りたいと
その夢が叶えたら素晴らしいと思った。

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2012年12月 4日 (火)

木村伊兵衛賞

木村伊兵衛賞
http://ja.wikipedia.org/wiki/木村伊兵衛写真賞
最低の賞だとあれから思いながら二度と関係したくないと改めて思った。幼稚園の頃最初にシャッターを僕は押した。
絵より先かもしれない最初に撮ったのは大田区の羽田空港だった。あれからビートルズが降り立ちいろいろな人がここを通過した。
写真なんぞと思うようになったのは絵を大分描いて来た頃だっただろうか?写真と絵はまさしくライバルだと思う。
だが僕は両方ともしているし同じだと思う。
僕の師であり大きな存在の熊谷守一は写真を肯定していた気もするがあえて語らないようにも思えた。明治の頃は写真は画家にとって脅威なのだろう。
僕らは物心ついた頃から写真は存在した。
僕は平面の表現も立体もすべて同じだと思う。
平面で表現した物はすべて同じだと思う。もっと優れた表現素材があれば飛びつくだろう。
マックの感動そしてカメラのおもしろさ
そして大好きな絵。

すべては同じだと思う。
もうどうしたらいいかわからない愚かな
畠山直哉なんぞに賞をあたえる愚かな写真集団は無くなればいいと思う。
どうせ似たり寄ったりの仲良しこよしのグループ賞だと思えてしかたがない。
木村伊兵衛写真賞 - Wikipedia
ja.wikipedia.org
木村伊兵衛写真賞(きむらいへいしゃしんしょう)は、朝日新聞社主催による写真の賞である。

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2012年12月 2日 (日)

http://ja.wikipedia.org/wiki/畠山直哉

今日はまた絵を運ぶ仕事だった。
また嫌いな芸大へ行くことに、
運んであげる人はお客さんだから断るわけにはいかないが、このお客さんだけでもう受けないことにしている。
そんな気持ちがやはり嫌なことととなった。
芸大に着き荷物を降ろすとさて帰ろうかと思うと何やら回りが騒がしいなんのことだか解らずお茶をごちそうになるそれがやはり嫌な思いへの第一歩だった。
そこである男の人と会い話が楽しく良かったが何か講義がありそこへ行くとのことつい後を着いて行ってしまった。
その講義が学生時代あの陸前高田のジョニーで会った畠山さんだった。
彼は木村伊兵衛賞を受賞して時の人だった。
テレビにはでるはでもう昔の人ではない。
なんで来たのかも解らずただ高田のことや懐かしさでついこの男の人に誘われ来てしまったことに心の中で反省。
回りは学生で何のことかは解らない、
こちらは話していることが解るそこがまずかった
言っていることが解れば声が出る。二人はうるさいと言われるは学生でないからと意見は言えないはでド壺にはまった感じだった。
嫌な思いをしながら3時間もの間、解ったことや言いようのない屈辱面白くない話題を聴かされ飽きれながらやっとの思いで立ち去った。
畠山は写真家で若い頃は何もすることがなく落ち込んだどうにもならない男で照井さんが困っていたが木村伊兵衛賞を受賞後時の人となったそれまでは何をしていいか解らず無力な男だった。
賞を受けた後今回会って謙虚さはなく威張り腐った人物にそう変わりしていた。
己の高ぶった心がどんなに知識があろうと謙虚さに欠ける心の動きは動作や言葉のはしはしにでることだ。
彼はこの仕事で最後だと思う。
それだけ自分に謙虚さがないと思えた。
どんなに知識があろうとどんなことをしようと
もう進歩はないだろう。
終わったと思えた。
もし謙虚さが戻った時また新しい表現が出来るかもしれないが
かれは駄目だと思う。
人を嫌うのは良くないだが僕は彼は嫌いだ。

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