何処かで、つい
おしゃべりする。
またあのおじさん来たぜ。
酔っぱらいでもないのに、
自分の親戚も何処かでおしゃべりを
する人が多かった。
いつも田舎に行くと、
みんなおしゃべりをしていた。
きっと嫌がられたと今は思う。
余計なことを言うと、知識のある
頭の良い奴らから
言葉の表現や文章の書き方を知らないことを
理由にしてネジ伏せられて来たのだろう。
しかし
花子とアンのように
どうも?
創造の翼が先走り、
おしゃべりを初めるのは
親戚全員の山梨特有なのか?
いや
身内だけだろう、と思いたい。
貧乏人はいつも急いでことを成し遂げようとする。
だから
失敗が多い。
おしゃべりして早く何かをかたずけてからだ。
と思ってしまう。
思ったことを
すぐ言うことは良くないが
思ったことを書くのも
落ち着いて書けば良いが
急いで書くと
おしゃべりと同じ結果を生むのかもしれない?
どうしておしゃべりを何処かでしてしまうか?
それはたはいもない相手の質問に
真面目に答えて、
更に詳しく説明してしまうほどの
バカ真面目な部分があるからかなとも思う。
一人でいつも寂しいから
何処かで
おしゃべりしてしまうからでも
ないと、
最近思うのだが?
相手とおしゃべりしないで
生きて行ければと何回思ったか
数しれない。
キリスト教の汝と我をどう解くか?
聖書を読むと
神とモーセが語りあった時、モーセは行ってはいけない所に
行った。
だから
神が
モーセよと
言った時
モーセが、はいと、
答えた。その時
自分と他者が初めて成立した
と言う、
何かおしゃべりしたことに
はい
と
答えた時、
相手が存在し
汝と我が成立するのだと言うことは
明らかだ。
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